商品詳細
れ甲府城は、古くは甲斐府中城、一条小山城、舞鶴城、赤甲城などとも呼ばれていました。天正10年(1582)甲斐国は戦国大名・武田氏の滅亡後、まず織田信長の領国となり、本能寺の変の後は徳川家康の支配するところとなりました。しかし、豊臣秀吉が天下統一をなしとげると、秀吉の命令により甥の羽柴秀勝、腹心の部下である加藤光泰らによって築城が始められ、浅野長政・幸長父子によって完成をみました。また、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い以降は再び徳川の城となり、幕末まで存続しました。
※撮影日>2004年4月5日
※撮影場所>〒400-0031 山梨県甲府市丸の内1-5-4 甲府城
※参考、、、
作者人物の素敵な表情を残す事に少しだけ才が有ると己惚れてる軽率者ですが、風景写真を苦手とし、それでも何とか写真作家として日本の風景写真のツートップである「春の桜」と「秋の紅葉」で最低でもそれぞれ一枚ずつは写真作家として残してなければ恰好が付かないと、何年間もそれを求め続けては悉く夢破れ残念な結果でもう自分には桜は写せないと諦めかけていました。
この写真を写した日も生憎の前日の風雨によって、折角の満開の桜がほぼ散ってしまっていて残念な葉桜状態で「あぁ今年もまた桜の作品は残せなかった」と力なく肩を落としうつむいた時に、、、
ふと足元の水溜りに広がっていた散り桜の様子が、丁度正午の陽の角度により葉桜を通しての零れ日がまるで絵のような素敵な夢模様として作者の目に飛び込んで来て、思わずシャッターを切った一枚です。
結果として前日の風雨と葉桜と散桜が幸運して記念すべき作者の一枚目の桜の作品として残せた思い出深い写真です。
構図の説明としては、、、
表示している写真の上下逆さまの状態が、現地での正しい風景と成ります、つまりは作品として魅せる時には写真の天地を逆さまにひっくり返して表示して作品としています。
ですので初見だと「絵なの?それともCG?」と何とも不思議な雰囲気の絵柄ですが、水溜りに散った桜が木漏れ日に栄えてとっても幻想的な写真で奥深い魅力の一枚で、撮影時の数多くの稀な幸運の積み重ねによる物語性も含めて、飾って良し、贈って良し、絵を観ながら「実はこの写真はね・・・」と撮影時の逸話を伝える一興も有りで。
ご自身が飾って尋ねて来られた方に観せ説明したり、誰かに贈って後から「あの写真実はね・・・」と撮影時の逸話を説明したりと、飾って説明してと二度楽しめる魅力深い作品だと思います。